山のあなたの空遠く「幸」住むと人の言う。カール・ブッセの詩の一節です。
いつごろからでしょうか?「山はいいぞ。山の見える所に住もう。俺と奴とで見つけるからさ」。夫が時々言う様になっていたのは・・・。「ここが終の棲家っていうのもどうなのか?」なんて思っていた時期でもあって「あなたとお友達とで探してくれるなら良いけどね」などと、軽く相槌を打ったりしていました。
そんなころ、頼りのお友達が入院、そして、程なくして帰らぬ人となってしまいました。それでも夫の山のあなたへの思いは消えることなく、おまけに亡き友人の姿まで重なり、結局、夫婦での棲家探しとなったのでした。
どのくらいの物件をみたでしょうか。帯に短かったり、襷に長かったり。決めかけては止め、止めては後悔しが続きました。そして現在の我が家に遭遇した時、窓からの景色に夫は狂喜乱舞(ちょっと大袈裟?)即決でした。私の決め手は家の前の道路です。道幅、交通量共に未熟な私の運転技術にピッタリです。
息子の「マジかよ!」の言葉を背に受け、老夫婦と魚2匹、猫1匹とで引っ越してきました。とは言っても不安が無かった訳ではありません。買い物は片道7㎞以上、急な坂道と幾つものカーブ、側溝だらけの細い道。夫は多忙で、私は全く自信の無い自力での運転を余儀なくされました。
また人とのお付き合いも不安の一つでした。しかし、それも何とかなるものです。運転は日増しに走行距離を延ばし、今では特に不自由を感じることもなくなりました。また、この年齢でもお付き合いの幅は広がるもので、本当に良い人達に巡り会えました。たいていの困り事はその中の誰かに相談すれば解決するのです。
娘がいつか言っていました。「東京が恋しくない?」
「今のところ、考えた事も無いけど。」と私。
東京へ涙さしぐみ帰ることも、山のあなたのなほ遠くを訪ねようと思うことも無く、山のあなたのこの場所に「幸」は住んでいました。
写真:転居した日の自宅からの八ヶ岳。
八ヶ岳ふるさと倶楽部交換日記
秋澤 礼子(あきざわ れいこ)
東京・世田谷区→山梨・北杜市
1955年茨城県生まれ、結婚を機に世田谷区住まい。60年余りを全くの平地暮らし。40年弱、殆ど主婦として生活。2年程前に北杜市に移住。山に囲まれ、未だ発見だらけの日々を送る。