12月は本格的な冬の始まりの月といえる。11月後半からは朝方の気温が0度を下回り、対策をしてなければ、水道管の内部が凍り、破裂する時期となる。
別荘の方は水抜き作業をしておかなければ、多額の水道料を払うことになるかもしれない。この時期から私が気にするようになるのが、夜の天候だ。
昼の天候が気になるのは当たり前だが、夜に晴れているか、雨が降っているか、曇っているかが気になるのである。晴れ渡った朝の冷え込みは強く、逆に曇っている日の朝は暖かい。路面が凍りやすいのは、晴れた日の朝なのだ。
一番に恐れる天気は、雨が降り、夜半過ぎから晴れ渡るという時だ。この翌日には路面がスケートリンクのように、ツルツルになり、ブレーキを踏むと、車はクルクルとダンスを踊りだしてしまう。雪の方が安心なくらいなのだ。そんな日は許されるのであれば、太陽がご機嫌になる、お昼くらいまでは家に閉じこもりたいのだが、そうもいかないのが苦しいところだ。
カレンダーをめくると、最後の1枚だった。1枚のペラペラとなったカレンダー。元々は厚く重なったものが、毎月減っていくのだから、当たり前なのだが、何だろうか、もの悲しい気持ちになってしまった。それは多分、今年が終わってしまうという事を、心の準備なく、視覚と触覚(皮膚)とで体感してしまったからだろう。
年を重ねるにつれ、時間が早く過ぎていくと言われる。同じ3年間でも学生時代と今が同じとは思えない。
そんな疑問の答えは、たまたま読んでいた本に書かれていた。生物学者である福岡伸一先生の「動的平衡」という本。“生命とは何か”という著作を多く出している方だが、学者とは思えぬ、ユーモアと艶のある文章が魅力的だ。
その中で、人は年を取るにつれて、自分の中に流れる時間をゆっくりと感じようになるとの記述があった。自分の中に流れる時間と、実際に流れる時間の差。自分で感じている以上に、時間は刻々と過ぎてゆく。毎年12月を迎えると、過ぎ去った時間がまるでどこかに消えてしまったように感じるのは、このギャップによるものだろう。
ただ、スマホに撮りためた写真を見て、振り返ってみると、それなりにやってきた記録が、記憶となって甦ってくる。今年も少ないながらも登山に行けたな、季節の花や食材を満喫したなと。日々の積み重ねを思い出せば、それは決して消えてしまった時間ではないのだ。来年も日々を楽しく積み重ねていきたいものである。
(八ヶ岳事務所 大久保武文)