昨年ヒマラヤトレッキングの話を聞きつけ、昔行ったトレッキングを思い出し、いち早く手を挙げた。昔、それも30年以上前のこと。試しに・・と9月、富士登山にいったものの、帰路脚が全く思うように動かなくなり、二人のガイドの肩を借りての下山となった。
10年以上前、正座ができなくなり整形外科を受診した際、『変形性膝関節炎の初期』と診断されたことを思い出し、下山後再受診したところ『中期』に進行し、できることは減量と、脚の筋力をつけること、と言われ一念発起してスポーツセンターに通った。最初のインナー検査では立派な「ヒマン」、それから5か月たった出発直前の検査では「カクレヒマン」まで何とかこぎつけ少々自信もつけての出発だった。
▲道端で機を操り自分で使う布に織り上げる女性。
3月18日に成田を出発し22日には奥ムスタンに向けてのトレッキングがいよいよ始まった。しばらく馴染みのなかった「努力」という言葉を思い起こしながら筋力トレーニングをしたにも関わらず、一日7時間前後のトレッキングはきつかった。壮大な山々が次々と畳みかけるように迫ってくる景色は圧巻ではあったが、それよりも「今日のピークはあそこか?」「あと何時間で着く?」「上りはあと何か所ある?」という質問が、いつも最後になる私に付き添ってくれたガイドさんとの一番多い会話であった。
宿に着いてからも毎日脚をマッサージし「何とか最後までもって!」と祈りながら修行のような旅を続けた。最後の2日間は気にしていたひざは何とかもったものの、足首が腫れて動かなくなり、念のためにと病院からもらってきていた痛み止めを飲んでの歩きとなった。仲間の一人からは「スポコンドラマみたいですね。」と揶揄され自分でも笑ってしまった。
そんなこんなで山の素晴らしさはともかく、現在の自分の体力、老後の健康と生活などを真剣に考える貴重な体験となった。山梨の四方の山々の景色をゆったりと眺めながら「素晴らしいじゃないか!」と以前にもまして思える今日この頃である。
八ケ岳ふるさと倶楽部交換日記
横山倫子
1955年 北海道生まれ
夫よりも2年早く退職し、染料となる植物に囲まれた環境の中、嬉々としながら趣味の染織にいそしむ毎日。