友がいました。彼は年齢は下ですが、私の山の師匠でした。若い頃、少しだけ山を、かじった経験がありましたが、還暦を迎える頃、これと言って趣味の無い私を、山に誘ってくれたのが彼でした。
彼とは、奥多摩、秩父、八ヶ岳、南アルプス、北アルプスの山々を一緒にのぼりました。山小屋での会話の中で、仕事を辞めたら、山の見える所に住みたいね、などという話題もしばしば出ました。近場では青梅、五日市、北アルプスの山々の眺めの良い安曇野、足場の良い松本、南アルプスと八ヶ岳の中間の小淵沢等々、いずれも魅力のある場所で、結論など出ませんでした。まあ気長に一緒に探そうや、と言う所でいつも終わりでした。
私が会社を辞めた一年後、彼も会社を辞める年齢に達しました。彼が病に倒れたのは、そんな時でした。彼も私も必ず元気になると信じていました。彼と同じ病気で回復した人を何人も知っていたからです。
「早く良くなれよ、一緒に家を探すんだろう。」と私。
「おう、だいぶ体調も良いから、もうすぐ退院だよ。俺の部屋のある家を探そう」と彼。
彼への見舞いの度に何度も繰り返した会話でした。五階の病室からの富士山はとても素晴らしい眺めでした。程なくして、彼は旅立ちました。一人で山の向こうに。
今、私は彼と語りあった幾つかの候補の中の小淵沢に移り住みました。そこは、居ながらにして北に八ヶ岳、南に甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山を眺められ、まさに彼と私が想像していた家でした。
移住して、すぐに町内会に入れて頂きました。地域の老人会にも誘って頂きそこから人の輪と新しい友達がおおいに広がっていきました。週一回のゲートボール、月一回のゴルフ、おまけに山梨ならではの無尽までのお付き合いをさせて頂いております。静かな晴耕雨読の生活が待っているはずだったのが、今やカレンダーの空白を探すのが難しい状況です。これは、彼のいたずらなのか、優しさだったのでしょうか?
「隠居するには、まだ早いだろう。俺の泊まる部屋を空けてあるよね~」
友の声が山から聞こえました。
写真:彼との最後の山、雲取山での彼の遠景。
八ヶ岳ふるさと倶楽部交換日記
秋澤 宏篤(あきざわ ひろあつ)
東京・世田谷区→山梨・北杜市
1946年長野県松本市で生まれ、3歳の時に東京・世田谷に転居。以来65年住み続ける。2016年11月に北杜市小淵沢に移住。寄る年波で、足が少し弱くなった気もするが、あと10年位は山登りを楽しみたいと思っている。